大城[鎌吉]に話を持って来たのは、美栄橋で自宅が隣同士だった材木商の久高将正である。土地の所有者は、沖縄電機[ママ]株式会社に勤務するエンジニアの高良嘉永だった。高良[嘉永]は1907(明治40)年牧志で生まれた。国際通りの北側で、沖縄三越、那覇タワー、マキシー、那覇セントラルホテルなどが立ち並ぶ辺りである。高良家は牧志や安里、前島に2町歩(約2万㎡)の土地を所有していた。
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現在の平和通り付近に土地ブローカーが居たので、その人に交渉を任せた。二人の買い手がついた。それが、久高と大城である。1943(昭和18)年のことだった。
沖縄・国際通り物語 p20〜23(抜粋と編集)牧志に土地を所有していた高良嘉永さんはブローカーを通して土地を売却、久高将正さんと大城鎌吉さんがその土地を購入したということです。
その土地が三越横の久高材木店と三越の土地だというんですから運命というのはわかりません。

久高さんは久高材木店社長です。
久高将正
1888(明治21)年、東村生。1922(大正12)年那覇市美栄橋町に薪炭木材店をはじめ、以来木材業一筋に生きる。日支事変、大東亜戦争と相次ぐ戦火を経て1949年には久高木材合資会社を設立し社長に就任する。
現代沖縄三千人より抜粋高良嘉永さんは興南高校がらみで名前が出て来ました。
学園は昭和37年、終戦後の荒廃した中で、沖縄の将来を憂い、沖縄県の経済的・政治的自立のために沖縄県の将来の担い手の育成が急務であることを痛感し、高邁な理想と見識を持つ同志の高良嘉永氏、高良郎栄氏、高良盛一氏、高良忠一氏、高良真一氏、高良文雄氏、高良徳栄氏、高倉幸次郎氏及び当時文教局諮問委員の山城篤男氏が浄財を提供して創立された。
http://senior.konan-h.ed.jp/detail.jsp?id=6958&menuid=3033&funcid=1大城鎌吉さんは沖縄経済界の大物ですので省略します。
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