沖縄県人事録(大正5)からですがこの人は目次の肩書きが「富豪」となっています。
上之蔵は金持ちと医者が沢山いたようですがこういう人ばっかりだったんでしょうか。
嘉数詠顕
那覇区上之蔵町二ノ六十八
家に巨万の富を有し沖縄の実業界に雄飛して勢威斯界にならびなく、徳望ある実業家として衆望をあつめ居たりしが、今や激務を避けて自邸に高臥し、専ら家運の維持経営に努め、悠々余生をたのしみつつつある君は、嘉永3年2月8日を以て那覇区上之蔵町に生る。履歴は編集して引用します。
嘉永3(1850)年2月8日をもって那覇区上之蔵町に生る。
父詠元の三男。一男一女あるうち嫡子は詠清(農工銀行書記)だったが大正2年逝去。
詠清長男の詠憲(沖縄毎日新報記者)を嗣子とする。
明治30年 沖縄県農工銀行創立に委員として奔走
明治31年 同銀行の取締役および頭取に就任
明治39年 辞職
明治29年 那覇区会議員(二期)
明治31年 徴兵参事委員【追記】
「沖縄県立図書館 貴重資料デジタル書庫」にある「沖縄県人事録/楢原翠邦編(大正5)」の画像を追加します。画像は加工して切り出してあります。

