大正5年の沖縄県人事録から。
木村栄左衛門さんは
木村義雄さんの父になります。
木村栄左衛門
実業家
那覇区西本町1ノ3
君は福岡県小倉市鋳物師町の人、文久2(1862)年を以て生る、亡稲元源平氏の末子にして三兄二姉あり、夙に木村家を嗣ぎて婦人との仲に一男を挙げ、現に鹿児島商業学校に在学中なり。君は幼時郷里に於て漢学を修めしが、爾来深く学ぶことなくして自然に修養を積み、尚ほ余暇を以て独学に勤めたり。明治21年初めて沖縄に来りて池畑運漕店に入り、其店員として十有余年間を恪勤精励し、内外の信望甚だ厚かりしが、遂に同38年を以て独立開業せり。(中略)大正4年10月池畑、杉原の両運漕店と同盟して那覇運送合資会社を組織し、其代表者となりて経営に尽瘁しつつあり、又自宅に於ては各保険会社の代理店を営み、副業として特産たる先島上布類の販売をもなせり。
玉突及烏賊釣に趣味深し。
沖縄県人事録(大正5) (抜粋と編集)
文久2(1862)年生まれだと大正5(1916)年当時は54歳くらいでしょうか。
画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫の「沖縄県人事録/楢原翠邦編(大正5)」からのものです。
【追記】下記サイトの写真が大正3年の木村運送店のようです。
「大正3年の沖縄7 木村運送店」 - オニャンコポンな絵葉書たち - Yahoo!ブログ
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