塩谷清兵衛
生没年不詳。鹿児島大門口に生まれたといわれるが生没年、寄留時期などは明らかではない。
沖縄における雑貨商の第一号で琉球処分前後の沖縄で活動した。旧藩時代にはすでに薩摩琉球間の貿易に従事していたようで那覇商人の取締役を命じられたこともあるという。首里王家の玉川王子と義兄弟の縁を結び塩谷の姓を給わっている。
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塩谷吉太郎
1884(明治17)年生まれ。
清兵衛の孫。昭和初期には那覇市西本町5丁目で金物商を営む。
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「置県の前後に有名な雑貨商は清兵衛殿であった。清兵衛とは本県に於ける通称であるが、塩谷清兵衛という鹿児島の商人のことで、那覇の西本町の民家の座敷を借り、そこに雑貨をひろげて売出したものだが(略) 沖縄県政50年/太田朝敷」
近代沖縄の寄留商人より抜粋
明治17年に孫が生まれているということは廃藩置県当時でもご年配ということですね。孫は西町で金物店を営んでいますから塩谷さんは沖縄に定着したんでしょう。
琉球人事興信録(1950)の目次には塩谷栄二さんという名前も見えますが関係あるのかどうかはわかりません。
清兵衛(シイベー)の名前はシイベードン(清兵衛殿)としても有名です。
シイベェードン(清兵衛)は鉄製品(金物類)とともにヤンジン(洋銀=ニッケル)を取り扱っていたが、その洋銀のことをいつしかシイベーといい、銀かんざしの代用に洋銀で作ったかんざしが安いことから「シイベー・ジィファー」といった。
那覇市史資料編第二巻中の7 p296PR