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坂元栄之丞

沖縄県人事録(昭和12)から坂元栄之丞の項目を抜粋して引用します。

坂元栄之丞
旭窯業㈱専務取締役
那覇市天妃町1ノ12
君は明治8年を以て鹿児島市に生る。明治25年叔父と共に来県し宮古郡に於いて開墾事業に従事す。当時概に黒糖一千梃生産し同郡に於ける黒糖製造の先覚と称さる。その後木材商を営みしが明治28年現在の洋品雑貨商を開業し那覇市に定住して今日に及べり。今や市内屈指の老舗として那覇市商店街に重きをなして居り、なお昭和4年12月本県陶業の振興を計画し旭窯業株式会社を設立、推されて初代専務取締役に就任、同社は工場を那覇市外古波蔵に有し、主なる製品に改良瓶、土管、改良沖縄瓦等あり。
天資淵良恭謙、皎月と号し俳句を能くす。

沖縄県人事録(昭和12)


古波蔵の旭窯業所ですね。
またこの人は絵葉書を発行していた坂元商店の主です。

大正末期から戦前まで古波蔵に旭窯業所があった、そこでは土管、アルコール壷、植木鉢、屋根瓦、陶器等幅広く焼かれていた。
那覇市史資料編第二巻中の7、p362


那覇市史の記述とは食い違いますが昭和には古波蔵にあったということで。
輸出のための酒甕なども不足気味だったようですから「実用品」としての陶器製造に取り組んだのでしょう。

沖縄県人事録(大5)からも一部抜粋しておきます。画像は「沖縄県立図書館 貴重資料デジタル書庫」からダウンロードしたもので画像加工してあります。
坂元栄之丞
那覇区大門通りに堂々たる店舗を構へ、県下唯一の風景絵葉書見世として隆盛を極めつつあるは、即ち君が管理せる坂元商店なり。君は明治8年を以て鹿児島市住吉町に生る、県下銀行界の老練家として声望ありたる、亡重幸氏の長男にして大正2年8月家督を相続せり。
18歳の時はじめて本県宮古島に来り、叔父の経営せる商業及び開墾事業に従事し、三年間を精励恪勤して信望ありしが、其後那覇に出でて井ノ口材木店に入り、爾来8ヶ年間を忠実に勤務して内外の信望厚く、専ら土木請負に寿示して敏腕を揮ひたり。明治38年遂に同店を辞して現地に独立開業し、竹器、諸家具類、額縁、絵紙、沖縄風景絵葉書、味噌醤油其他雑貨類を販売して漸次に拡張し、現今鹿児島商業出身の令弟酉三君に其全権を譲り、隆盛以て今日に至れり。君は現に来管理者の位置に在り、而して仁寿生命保険株式会社及徴兵保険株式会社の代理店を兼業として活躍しつつあり。
沖縄県人事録(大5) (抜粋と編集)

別ページでの坂本商店の案内。一行消えてしまってます。

坂本商店は那覇唯一の繁栄地たる大門前の久米通り角にあり
---
県下唯一の写真原料品店として
沖縄県人事録(大5) (抜粋)

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