保険金五百円受領広告
故白石武助は常に有隣生命保険会社の被保険人に候処去五月末死亡候処其後右武助の在命中医師及死去後の医師転任不在等に依り本社へ差出べき手続きの書類太きに延引仕り八月初めに至り手続一切那覇東町申込所堀之内寿次郎取次き那覇代理店永山新太郎へ差出最近郵便より本社へ差出相成候九月初保険金全額五百円正に受領候條本社の●実なるを信用せり本社の被保諸君へ謹告す
三十一年九月十五日
大宜味間切塩屋村
鹿児島県人白石武助長男
白石武八郎
亡武助妻白石ミヤ
※●は不明文字
琉球新報 明治31年10月7日(旧字改め/カタカナをひらがなに)関連:
グダグダ(β) 白石武八郎変わった広告ですが、要約すると医師の不在により保険会社への書類手続きが遅れたが代理店に取り次いでもらって支払いがあったということなんでしょう。
とりあえずは寄留商人の白石武八郎さんの父母の名前がわかるということで記録しておきます。
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