
左写真は一号線工事以前、右は現在に近い地図で、各ポインタは赤が那覇商業(現那覇中)、青が兼久、緑は崇元寺です。潮渡川は七つ墓のあたりで久茂地川と分かれて若狭団地方向に向けて流れてゆくのですが、左写真の埋立前は潟原そばの入り江といった雰囲気です。
1958(昭和33)年の沖縄タイムスにこの流れが一号線で寸断されていたというのがわかる記事がありましたので引用します。
一号線に架橋を/水害防止、那覇市が申請
那覇市の真中を流れるガーブ川の支流の一つである前島町から1号線を通り市営住宅に通ずる排水路は、1号線でたち切られているため、大雨のたびに附近に浸水さわぎをおこさせているが、那覇市では9日、主席に1号線を通して橋をかけるよう申請した。
去る2月7日の豪雨でガーブ川をはんらんさせ、公設市場一帯に1億円の損害を与えたのも一因はこの排水路の水のはけ口がないためだといわれているが、1号線の工事は技術的にも困難だといわれ乏しい那覇の財政ではできないとあって政府に工事申請をしたもの。(後略)
沖縄タイムス 1958年5月13日[那覇市議会史p28より抜粋]未架橋状態の潮渡橋の写真もあります。
那覇まちのたね通信 | 58号線(旧1号線)/前島から若松方面を望む
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1767
那覇まちのたね通信 | 58号線(旧1号線)/前島付近の1号線/1961頃
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1766潮渡川が海に向かって開通したのがいつなのかはまだ調べられていません(後日追記します)。
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