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明治初年の久米大通り

嘉手納宗徳さん作成の「明治初年の久米大通りの図」(左)です。右は比較用に昭和初めの地図から(ほぼ)同アングルで作成しました。
明治初年の那覇


画像は「琉球王国の風水計画」さまよりお借りしております。m(_ _)m
画像の海部分に色を塗り文字を入れ直しました。
http://www.geocities.jp/ryuuko5/012kumemura.html

みてわかるのはまだ埋立が進んでいない久茂地川河口で、仲島大石も海中、仲毛もまだ埋め立てられていません(東町市場の移転は後年です)。
渡地は島で西新町一帯は浜です(明治後半に埋立)。
現バスターミナル(元那覇駅)前の旭町は大正年間の埋立です。

---(追記)----
CiNii 論文 - 琉球唐栄久米村の景観とその構造/高橋 誠一に上図作成者の嘉手納宗徳さんの発言がありましたので引用します。

この図[那覇市街図(明治初年)]は嘉手納宗徳氏によれば、明治初年(10〜20年頃)の歴史の跡を知るために作成された半鳥瞰図的なもので、資料としては「球陽」「沖縄志」(伊地知貞馨氏)、「南島風土記」「大正12年番地入り那覇全図」等を参考としたものである。
「作業にあたっては、70歳代の古老10名ほどを週一回東恩名文庫に集め、草稿の検討や話合いをしてまとめた後に持ち帰り、各自で校訂をして再三にわたって種々検討・校訂作業を繰り返し完成に至った」と言う。この労作は、先に見た第二次世界大戦前「民俗地図」同様にきわめて重要な価値を持っているが、嘉手納氏は「しかし、この地図中に盛られた事物のうち、現存するのは「御物城」「三重城」「波之上宮」「護国寺」などわずかであり、したがってこの図からかなり正確に歴史を読み取ることができるのは、戦前の那覇を知っている人たちに限られよう。私自身、地図上のものが現在どこに該当するかを問われると返事に窮することがある。
現那覇市街図上への復原は、至難の業ではあるが、今後の研究・作業が大いに俟たれるところである」と、謙虚に述介される。


上の図は「明治初年の久米大通りの図」と引用元に書かれてあったのでそのまま書いてありますが、嘉手納宗徳さんの作成された「那覇市街図(明治初年)」の一部だと思われます。この図は柏書房の「沖縄歴史地図」に掲載されています。

那覇まちのたね通信 | 那覇/久米大通り/戦前/電車敷設以前/(1914頃)
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1053
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