料亭花咲経営者の松本思明の紹介が「琉球人事興信録/崎原久 編/1950.6」にありました。抜粋編集して紹介します。
松本思明
料亭、花咲経営主
元那覇10区区長
那覇10区1組
氏は明治34年那覇市久米町に生る。規定の学業を卒るや辻町に料亭花咲を開業し、爾来市内屈指の料亭として内外の信望を博し辻町町内会□料亭組合長に推薦せられて(略)終戦に及んだ。この後花さきホテル、松島製材所を設立経営、傍ら10区区長に推薦されて復興建設に没頭して今日に至る。49年8月料亭に改称されるや繁忙を極めてその業たるや鮮やかなものがある。那覇の料亭で戦前那覇の料亭について触れましたがそのとき図にしたのは那覇民俗地図にあるものだけで当時の新聞や記録等に名前が残るもので場所がわからないものはまだたくさんあります。
花咲は辻にありかなり有名な料亭だったようですが戦後に牧志(那覇10区)で復活しています。下の図は昭和26年の「最新那覇市地図」から場所を特定しました。ただ地図では2組にあるように見えます。
当時と現在では一銀通りのように当時無かった通りもありますし道筋が変わっているところもありますので参考程度にお願いします。当時は国映館の位置に世界館、その隣は松尾交番所があったようです。

戦前の花咲の位置はこうなっています。

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