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原域の変化

上間部落の中心地は当り原といいます。

当原(アタイバル)は、その村(ムラ)の中心となる。今帰仁グスクの前もハタイ原という。そこはかつての集落の中心であった。
http://rekibun.jp/21murasikouza.html


引用したページは今帰仁村歴史文化センターのものですが、ここが発行している「なきじん研究」15号に原(はる)について触れられていました。引用部分は本文ではなく、冒頭にある全体解説からです。

今帰仁間切「平敷村略図」に見る原域(第8編)についてであるが、現在の字は以前は村と呼ばれていた。その村は小字から成り立っている。その小字は明治36年の土地整理で確定したと見られる。「平敷村略図」は、現在の平敷の小字以前の小字のすべてと図面になっている貴重な資料である。具体的にどのように組み替えがなされ、現在の小字に落ち着いたのかを知る手掛かりとなる。
「平敷村略図」から、小字(原)名をつける特徴が見出せる。家々のある集落部分をアタイ原(当江原)、集落の前方を前原や前田原、集落の後方を越原(クシ原:後原)、上の方を上原、役職名の掟田原、浜のある小浜原、沢に因んだ沢原、「川を渡る場所」のある渡川原など。今では消えた小字(原)のスカ原は「塩川」、外サク原は「深い迫」など地形やカーなどに因んで名付けられている。
なきじん研究15号 Ⅱ (抜粋と編集)


205ページからの本文では明治29年以前の「平敷村略図」、明治29〜32年の「小字図」などを取り上げています。そのほかには現在の小字(原)との比較、印部石を使っての検証など。

これまで確認された今帰仁村内の印部石(原石)24基の内8基の原名が現在の小字名に存在せず、「平敷村略図」でもみた通り、約42%という大幅な組み替えがなされている。このように、小字での地名議論をする場合、大幅な組み替えがあったことを念頭に入れ、小字域は複数の原域をまとめてあるのではないか、そのことも念頭に入れて議論する必要がある。
なきじん研究15号 p212 (抜粋と編集)


掲載された「平敷村略図」と現在の小字図の違いはかなり大きいです。
以前、土地整理事業以前の原名についての資料を取り上げたのですが、その時にはこれほどの違い(のある可能性)があるとまでは思いませんでした。

印部石(しるびいし)については写真も豊富な「沖縄の印部石/沖縄県地域史協議会」という本があります。
印部石も画像検索するとけっこう出てきますね...
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