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壷屋への陶土

[恩納村(間切)の]仲泊や前兼久では、港に近い山手から陶土を掘り出し、それを村船に乗せて泊港(那覇)まで運んだ。前兼久の港は比較的深かったので、浜辺に船を横付けすることができたが、仲泊は浅く、陶土の積み込みが困難であった。それを打開するために、浜辺からまっすぐ約200m沖に達する広い溝を掘って船が浜辺につくようにした。仲泊の村前の船の出入りする海底の運河をイノー路といい、今でも残っている。船に荷物を積み込むには満潮時の6時間であった。陶土を俵に入れて男は肩に女は頭に、旨まで海水に浸かって積み込んだという。屋富祖の白陶土は海辺に接した高いところから産出したので、掘った土を浜辺に落とし、船に積み込んだ。陶土は各自の村船に積み、那覇の泊港に運んだ。泊港からは伝馬船に積み替えて安里川を遡行、崇元寺橋をくぐって壷屋のカーラバンタに陸揚げした。
なきじん研究14号 山原の津(港)と山原船 p50(抜粋と編集)


「壷屋のカーラバンタ」は那覇民俗地図では見つけることができないのですが、タムンシチバ(薪積場)はあります。
陶業のための燃料は山原頼りですね。
牧志集落遠景図

恩納間切は陶土を産出し、那覇の壷屋に山原船で運んだ。赤土(赤陶土)は仲泊・前兼久の山手で産出し、白土(白陶土)は屋富祖・名嘉真、名護間切のブセナで産出した。白陶土が産出する場所は海岸に接した場所にある。赤陶土と白陶土の運ぶ比率は10対2の割合だったようだ。
なきじん研究14号 山原の津(港)と山原船 p56(抜粋と編集)
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