パンのイメージが強いオキコですが当初は瓦を作っていたようです。
1947年 豊見城村(現豊見城市)に、同社の前身となる沖縄興業株式会社を設立。当時は赤瓦、カメ煉瓦の製造、販売事業を行っていた。
1953(昭和28)年 那覇市に製菓工場を開設。製菓事業を開始。瓦製造業からの事業転換。
1954(昭和29)年 製麺工場を開設。オキコそば、そーめんの製造販売事業を開始。
1960(昭和35)年 オキコ株式会社に商号変更。
http://www.okiko.net/?men=6&cat=3
オキコ - Wikipedia旭町関連でオキコの名前が出てきたことがあります。ただ1965(昭和40)年に売却したということで旭町の埋立はもっと早いと思います。
旭町公有水面埋立地の売却
△オキコ株式会社仲田睦男氏に547坪を32846ドル(坪当たり60ドル)で売却。
市民の友 1965年7月15日 第155号1965(昭和40)年の地図では寄宮中学校体育館の場所はオキコ製麺工場となっていて、ゼンリン71年版では駐車場になっています。寄宮中学校の20周年記念誌から体育館ができるまでの変遷を拾ってみます。
1967(昭和42)年9月 体育館用地買収契約
1971(昭和46)年8月 塀着工
1971(昭和46)年9月 体育館開きそれと57年発行の「新郷土地図/沖縄タイムス社」にオキコについて紹介があったので引用しておきます。
本では写真に下の文が添えられています。
オキコ(OKIKO.CO)
沖縄興行株式会社の製菓工場は壺川大通りにあって、敷地は500坪、施設に約700万円もようした。島内需要の菓子の約60%をみたし、日本本土、香港、東南アジア向け、月1万ドルも輸出している。
新郷土地図 第一巻/沖縄タイムス社 p53そのほか製麺工場についても少しだけ触れてありました。
このページには麺を吊るして乾燥させている写真と、素麺のようにまとめて箱に詰めている写真があります。素麺にしてはすこし太いように見えますが...
製麺工場(BUCKWHEAT FACTORY)
首里の西森にあるクイン商事製麺工場。他に真和志市の寄宮に、沖縄興行株式会社の工場がある。ともに優秀な施設を誇っている。
新郷土地図 第一巻/沖縄タイムス社 p55PR