昭和12年の沖縄県人事録から。
写真は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫の「沖縄県人事録/楢原翠邦編(大正5)」からです。
照屋林顕
沖縄県水産会副会長
那覇市東町4ノ33
君は慶応3年那覇市久米町に生る。明治19年沖縄県師範学校を卒業し教育界に在ること21年、明治38年教職を退き実業界に入り沖縄パナマ製帽株式会社を設立その社長となり、傍ら食品会社専務に推さる。明治42年「水産立県」を念願、本県最初の発動機漁船照島丸を建造鰹漁業に乗出し、爾来水産会のため尽瘁して今日に至る。今や水産王として斯業の改良発展に貢献し功績偉大なるものあり。帝国水産会議員、県水産会副会長、那覇市水産会長、水難救済会那覇救難所長、製氷会社監査役等の要職にあり、水産功労者として昭和5年観桜御会、同7年観菊御会お召の光栄に浴し、大日本水産会伏見総裁宮殿下より表彰され昭和11年帝国水難救済会総裁宮殿下より二等有効賞親授さる。
沖縄県人事録/昭和12年 (抜粋と編集) 沖縄県人事録(大正5年版)では明治元年生になっています。

前に
阿旦葉帽子会社と軍人遺族救護で「
阿旦葉帽子製造を計画し、重に字久米軍人遺族を職工としいささか救護の途を尽す」という明治38年11月の新聞記事を取り上げたのですが最初の引用の通り帽子会社はうまくいったようです。少しの違いではあるのですが、昭和12年版では「沖縄パナマ製帽会社」、大正5年版では「沖縄帽子株式会社」になっています。
あとこの人は士族です。
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