昭和12年の沖縄県人事録から。
辻之内多吉
やまと屋染色工場主
那覇市天妃町2ノ24
君は大阪市港区八雲町の人、明治25年を以て大阪市に生る。17才の春より染色業に従事し徴兵年齢に際し奈良53聯隊に入営し満期退営後京都に上り約二ヶ年を染色研究に没頭して深く之を極め、大正13年初めて来県し那覇市西本町に於いて染色業を営み、爾来恪勤精励して多大の信用を博し、逐年業績向上、昭和元年現住所に移転して今日に及ぶ。奮闘努力の人にして其卓越せる技能は従来本県に於いて成し得ざりし美術染工を能くし、好評嘖々たるものあり、家業頗る隆盛を極めつつあり。
沖縄県人事録 (抜粋と編集)大正13年来県ということでわりと遅く来た人で、沖縄染友会の副組合長も勤めていたようです。
参考:
グダグダ(β) 沖縄染友会国場組社史掲載の「昭和初期の那覇市街図」では天妃小学校のそばに「やまとや染工場」というのがあります。
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