屋比久孟吉
1900(明治13)年佐敷村生。1939年ハワイミッションアカデミスクール中退。ハワイにおいて20年近く写真業に専念する。戦後49年には戦火で物資の乏しかった沖縄に山羊を輸送。51年、キリスト・セブンスデー開拓伝道のため帰郷。そのまま沖縄にずっと居住するようになる。53年飲料水製造業を思い立ち、ベストソーダ株式会社を創立、取締役社長となる。
現代沖縄三千人より抜粋
ある年代の人には懐かしいベストソーダですが検索してみると情報はあるもんですね。
1953年10月13日那覇市5区17組(現在のどこだろう)で製造販売を開始し、当時は1本7円でその後5円に値下がりし、他のものよりも低価格ということで人気を博し、昭和50年頃まで製造されていて
http://www.cosmos.ne.jp/~norioa/bestsoda.htm5区17組は崇元寺の真向かい、橋をわたって左手です。
参考:
グダグダ 戦後の那覇の区
[余談]屋比久孟吉の姉の子に戦前からクリスチャンであった津嘉山澄子という人がいて、屋比久孟吉の影響を受けセブンスデーに改宗してしまいます。
【追記】
戦後ハワイから引き揚げて来た屋比久孟吉が1953(昭和28)年11月、崇元寺の一角で操業を開始、55年には民間清涼飲料水業者として初めて米軍向け販売の免許を取得、56年浦添市勢理客に工場を移転、61年には株式会社に改め、最盛期の70年頃には県内シェア17%、従業員150人を擁した。1本5セントの安さとソフトな味に人気があった。復帰後の情勢の変化もあって経営不振に陥り79年休業。PR