久高将正
1888(明治21)年、東村生。1922(大正12)年那覇市美栄橋町に薪炭木材店をはじめ、以来木材業一筋に生きる。日支事変、大東亜戦争と相次ぐ戦火を経て1949年には久高木材合資会社を設立し社長に就任する。
現代沖縄三千人より抜粋山原の人なのかなとも思いますが東村は1923(大正12)年に久志村から独立していたりしますのでよくわかりません。
参考:
東村 - Wikipediaそれはともかく大正12年には美栄橋に薪炭木材を扱う店舗を持っていますが、戦前の久茂地川河口両岸は材木店や製材所が多数あり、山原から荷揚げされる薪炭の荷揚げ場所になっています。
当間モウシさんもそうなのですが新しく埋め立てられた場所に集中して進出しています。
戦後は国際通りの中央部付近に久高木材はあります。図はゼンリン69年度版を参考にしています。
当時の周辺はこんな感じ。
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戦前相当の牧志民俗地図をみると現在の三越の後方は畑で住居もほとんどなく、久高という名前も見えません。牧志はグランドオリオンからの道と牧志ウガンの間が集落で、道向こうの三越からホテル一帯にはほとんど住居はありません。
あとそういえば久高材木店は久茂地川沿いにも店舗があったような気がします。
結論は、戦後立ち入り禁止になった区域(美栄橋等)で戦前自営業やっていた人のうち戦後すぐに再起した人は最初に開放された場所(牧志など)ですばやく営業しはじめた人がいるよね、久高さんもそういう人だったんじゃないかね、ということです。
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