南條みよし(安村ヨシ)さんの師匠、南条宏さんが沖縄出身というのが気になったので調べてみました。番外編です。
引用や情報はすべて「焼け跡のカーテンコール」という名古屋の舞踊史の本によります。
南條宏(高江洲康宏)
1899(明治32)年生、1978(昭和53)年没。
那覇市に士族として生まれ、幼少より舞踊に親しむ。1912年那覇市内の小学校を卒業すると佐賀県立佐賀第一中学校に入学、1926(大正15)年早稲田大学高等師範学校卒業、同年妻きみ子と結婚。1928(昭和3)年、南條きみ子舞踊研究所を開設するがきみ子の他界により南條宏舞踊研究所と改称する。
南條きみ子
沖縄出身。1907(明治40)年生、1939(昭和14)年没。
1925(大正14)年精華女学校時代に石井小浪に師事、洋舞を習う。1926(大正15)年結婚。宏さんは那覇士族の出身で父は実業家だったそうですが、家が少年時代に事業に失敗したため苦学をしました。苦学時代に援助をしてくれた沖縄出身の富豪がおり、その人の娘が後年妻となるきみ子さんだったそうです。
南條と名乗ったのは「南の島から、はるばる海をわたり、山を越えてやってきたから」であり、「昭和3年以降に使用」したそうです。
創作舞踊からバレエ、日舞に至るまで幅広く教えていたようで、琉球舞踊も踊っていたようです。宏さんの経歴は踊りとは遠いように思えますが琉舞なども踊っていました。
名古屋での南條スクールはかなり大きく、弟子を多数輩出しています。
宏さんは「那覇市の士族の家に生まれる」と書いてあるのですが首里士族なのか那覇士族なのかあるいは他の士族なのかわかりません。高江洲姓で名乗りが康ということなら調べられそうですが調べてません(このブログは士族籍に冷たいことをモットーとしています)。
奥さんのきみ子さんの本名は高江洲きみ子となっていますが、これが旧姓であるのかもわかりません。しかし内地の学校に学ぶことのできる財力がある以上家はかなり裕福だったのでしょう。
【追記】弟子である南条みよしさんの自伝(私の戦後史 第8集)からの情報を追加します。
ある日、南条君子先生のトウシューズをはいてバレエを躍っている写真が新聞に大きく載っていました。その記事を読んでみますと、沖縄県立第一高等女学校出身で、石井小浪先生の弟子、またご主人の宏先生も沖縄県立第一中学校のご出身とのこと。早稲田大学の文学部英文科卒業で、大学時代江口隆哉・宮操子ご夫妻にバレエの指導を受けられたということでした。
納豆売りをしながら苦学、舞踊を研究したそうで。その後も学校の教員をしながら名古屋でバレエ研究所を開設したが、現在ではバレエ一筋に生き、幾多の弟子を養成なさっていることがわかりました。
私の戦後史 第8集 p254(抜粋)PR