詩人の「仲村 渠(なかむら かれ)」です。
1905〜1951(明治38〜昭和26)、詩人。本名・仲村渠致良。那覇生まれ。北原白秋主宰の『近代風景』に参加。詩作を行う。1932年ごろ詩人グループ、榕樹派を結成。戦後は『うるま新報』記者。http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-42393-storytopic-121.html

右は仲村渠呉服店です。
「沖縄人物シネマ」から引用します。
兄は軍人で、那覇でも屈指の呉服店の経営者であった。仲村渠さんは兄から資本を分けてもらったのか那覇市辻町の石門より入口角に余り売れない半襟屋を営み、美人の奥さんと暮らしていた。
半襟屋の店先は、友人たちのたまり場となっていた。友人とは元毎日新聞論説委員の古波蔵保好氏、琉球新報の社長(戦後)になった池宮城秀意、私[牧港篤三]を含めて雑誌「那覇」同人の詩人仲間だった。
沖縄人物シネマ/牧港篤三 p166(一部編集)半襟(
半衿 - Wikipedia)というのが手頃な商売であったからなのかどうかはわかりませんが詩人らしい(おしゃれな)商売だよなとは思います。
図で示した仲村渠呉服店は見世の前の超一等地、「辻町の石門より入口角」は図では辻(
緑色)下角辺りでしょうか。
名乗りと姓から推測すると仲村渠致元
■の縁者でしょうね。
仲村渠呉服店の写真は下記サイト様よりお借りしております。m(_ _)m
http://blogs.yahoo.co.jp/pusan_de/3000330.html関連:
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