沖縄タイムスの1959(昭和34)年12月には銀バスの路線変更のお知らせが掲載されています。
皆様のご利用をいただいております識名線松川線を左記の通り路線の一部を変更し来る12月16日より運行する事になりましたので(略)
(3)松川線
旧=与儀-開南-政府南入口-旭橋-琉銀-通堂-西武門
新=与儀-開南-政府前入口-立法院前-政府前-西武門
沖縄タイムス 1959年12月16日(抜粋と編集)※元図では点線で変更箇所が示されてますが読み取れませんでした
どこを通っていたのか
いいかげんに推定してみます。

バス停の位置は変化しないだろうと思いますので使われてる(いた)バス停の位置を図中のバス停名に当てはめてその間をつないでみました。赤が松川線で青は識名線です。
交番前は安里交番前のことだと思いますので大道と書いた位置かもしれません。
琉銀(1955年頃)は久茂地へは1966年に移転してるので東町にあります。
市役所は当時は天妃小学校(参考:
那覇市役所の位置(戦後))
まちのたね通信を参考にすると1958(昭和33)年頃には上之山中学校向いにバス営業所。
これはおそらくあらかきバスの敷地を利用したもの。
参考:
グダグダ(β) あらかきバス整備工場跡那覇まちのたね通信 | 銀バスの西武門営業所/上之山中学正門前の広場にあった/昭和33(1958) 3月10日
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=33591958年12月の市民の友から抜粋した
大石橋・政府住宅前道路ですが、記事によれば
2月12日竣工の予定で、「
橋梁、道路の両工事が完了すれば、来春[1959年]から真和志小校-工業高校-三原教会までの車両通行も可能で、バス路線の開設も計画」されているそうです。
最初の路線変更お知らせをみると政府住宅近辺を通るのは松川線で、後年の松川線(工高線)の真和志小から工業高校の区間は推定図と同じ道を走っていました。真和志小から黒丸宗を経て工業高校にいたる道はこの路線以外には考えにくいかと思います。
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