ブタジョーグーのうちなーんちゅも年がら年中食べていたわけではありません。現在のように大規模な養豚も行われておらず各家庭で飼っていた豚を潰すのは盆と正月が主です。那覇では肉市場もあり小さく切られた肉を購入することも可能であったようですが一頭丸々潰すとなると保存食にする分も含めて大掛かりで日常で行うには大変です。
盆正月などの肉を口にする機会を楽しみにしていたのがうかがえる文があったので引用させて頂きたいと思います。那覇ではなく本部でいわゆる田舎の話ですが、「田舎」といっても那覇・泊・首里(と久米)以外はすべて田舎であって、マチがたち商業と貨幣経済が萌芽を見せていたこれらの地域が沖縄では特異的なのです。
以前に引用した船越義彰さんは大正末年生まれの辻育ちで生粋の那覇人ですが、義彰さんの少年期の想いでと引用した戦前の昭和の田舎の想いでを比較するとよくわかるかと思います。
当時の沖縄の慣習としてお正月用の豚『ショウグワチャー』を一軒で一頭宛屠っていた。中には二軒乃三軒で一頭のところもあった。芋と裸足の時代で、肉類を口にするのは正月とお盆と折目(ウイミ)の時だけであった。
成長盛り、喰い盛りの高等科一年生の級友達は一刻も早く家に帰りを、トシノユルーの豚肉料理を腹一杯たべたかった。学校周辺の家々からはチーイリチャーのニンニクの葉の香りが漂よい、いやが上にも食欲をかき立てていた。
■II.昭和戦前期 -思い出の記 思い出の写真
http://www.town.motobu.okinawa.jp/schoolnet/motobu-e/100kinensi/sz/sz_omoide_t03.htmlPR