内間の端にティングヮンマタという道があります。天願又でしょうか。
図の一番右側で330号線付近になります。

内間部落の中心部から沢岻に向けてゆく道ですが遊び場でもあったようです。ここでは内間だけでなく那覇・真和志・首里も含む周辺部落の人間が集まって毛遊びに興じたとこに注目したいと思います。
若者達の毛遊びの場所としてよく利用された。月の晩には近隣の部落からも若者達があつまってきた。沢岻、経塚、首里の平良、末吉、真和志の銘苅、古島、安謝、遠くは天久、泊、お隣の勢理客、仲西、宮城等...
道の真ん中に円座になり二才達(ニーセー)が弾く三線にあわせて娘さん達が唄を歌い、二才達は我先にとメーカタ、踊りに夢中になって遊んだ。時には格闘に近い争いになることもあって、夜中の三時頃まで続いたが若者達は何時の間にかどこともなく消えていった。
内間誌 p65(一部編集)首里は平良、末吉。
真和志は銘苅、古島、安謝、天久、泊(那覇)。
浦添は勢理客、仲西、宮城、沢岻、経塚。

こうしてみると那覇近郊の農村で人間の交流はあったわけですね。内間誌の別箇所からそれがうかがえる箇所を引用したいと思います。
一年中を通じて若者達の寄り合いの場で、夜の早いうちはマーイシを待ったりして時を過ごし適当な時刻になると毛遊びに連れ立っていった。更に書き添えておきたいことは、沢岻、安波茶、仲間辺から泊市場へ農産物を販売にゆくときの中休み所であって、朝の九時、十時頃になると上記の部落の主婦や娘さん達が甘藷(イモ)、野菜等をいっぱい入れたバーキを頭に載せて次から次へとやってきて道路沿いの石垣に荷物を降ろして十分、二十分と休んで元気を取り戻して泊市場へ向かっていった。
内間誌 p65
前道(メーミチ)
部落内を流れる川に沿って、中の橋を中心にして東西に百メートルくらいづつ伸びている道路が前道で、中の橋西側の小広場が内間の中心的場所でいろいろの行事がここで行われた。
内間誌 p65これは内間部落の前道(メーミチ)に関しての記述です。浦添の村から市場へゆくには安謝川を越えなければいけないのですが、交通の要所であるその橋を中心とした部落の内間では通行する人間同士自然とお互いに顔を見知っていたと推察できます。
昼間顔を見たことのある人達が夜は毛遊びの場で一緒になるわけですからそれは盛り上がるでしょうな(笑)。
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