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砂糖委託屋

承前。
グダグダ 砂糖仲買人
グダグダ 沖縄砂糖商店について

これまで砂糖がらみで登場したのは、糖商、仲買人と委託屋です。
糖商が移出する商人(寄留商人)、仲買人は農民から砂糖を買い集め商人に引き渡す仕事です。
そこで糖商は皆各数人の砂糖仲買人に買い集めを委託するのが通常の取引方法となった。砂糖仲買人が「糖商の手先」といわれた所似である。彼らは糖商の縁故者とか商売気のある農村人とかであった。
沖縄県史別巻 p278


委託屋という名称では登場していませんが、「琉球砂糖株式会社」「沖縄砂糖株式会社」が委託屋になります。
両者は沖縄県内の資本で設立され不要な中間業者(仲買人)の排除を目的としていました。
明治30年代後半委託販売業者が出現して大阪の鑑定専門家を呼び入れ大阪市況を報道しまた立て替え、貸し付けの便宜を提供するようになったので農家はこぞってその製品を委託屋の蔵置場に入庫し委託商の手で糖商に対して共同販売、競争入札に出されるようになった。
沖縄県史別巻 p278

明治末から大正、昭和にかけて新手の大手糖商が買い出動し、黒糖の仕入れ競争が繰り広げられ、その間を種々の仲買人が活躍した。この頃の仲買人はブローカーとも称した。農村の有力者や馬車持ち(バサムチャー)も仲買商人の役を努めた。
大正末頃から産業組合の進出著しく黒糖取引は急速にその手に集中されていった。1941年黒糖集荷が産業組合連合会に一元化された時糖商もろとも砂糖仲買人も真に無用のものとなった。
沖縄県史別巻 p278


以下県史別巻から「砂糖委託屋」の項を抜粋します。

製糖農家の委託をうけて砂糖を貯蔵し、税務署や物産検査所の検査を受けさせ、砂糖の販売等をもつかさどった商店等を砂糖委託屋といった。
そもそも両砂糖会社の設立の意図は、砂糖農家にとって取引上のガンだといわれた砂糖前代をなくし、砂糖製造農家の取引面での利を守るためにあった。糖業農家に対して資金の貸し出しもなされたが、会社幹部の経営の不手際で販売会社は間もなく解散した。
会社は解散したが製糖業の隆盛によって個人あるいは産業組合が砂糖の委託販売を行うようになった。
沖縄県史別巻 p271(抜粋と編集)


砂糖は生産農家からなんらかの人間を経て税務署と物産検査所の検査を受けて市場へ輸出されるという構図は変わりません。しかし市場の相場より低い価格での買い取りで売る形から農民が「委託」して販売する(ここは別項で取り上げます)より有利な形になりました。
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