今でこそ建築様式の変化で自家風呂が多くなっているが、それでも自家風呂のない人は銭湯(風呂屋)を利用している。
その銭湯の営業が沖縄で始まったのは明治23(1890)年3月で、泊では新屋敷の「ンナト(港)」の新崎が風呂屋をはじめたといわれる。この風呂屋に次いで、泊市場の南西に湯屋ができたのは明治の後期であると思うが、年配の人は記憶にあることと思う。
新崎の風呂屋について松茂良カメ(90)が語るところによると、彼女の若い頃新崎の湯屋で入浴したが、当時入浴に女性は着物を一枚持参し、入浴は「バサー」を着て浴槽に入り、同じ女性同士でも全裸を見せないようにしたという。また武士松茂良興作も、入浴にこの湯屋へ出入りしたそうである。
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石川逢篤、渡口武富、山田ウシ(昭和42年没/80歳)、玉城(屋号 タケモト)、宮城(瑞慶覧の斜向い)、佐久川長吉(沖縄戦まで営業)、佐久川長栄(現前島小学校隣にて営業 佐久川長吉の子息)
新崎興佑 安政3年生、泊の湯屋の始まりといわれるンナトゥの新崎、大正3年没
親泊英錦 泊市場の南門、隣りに泊郵便局があったが火事で焼失
泊人の足跡/松村興勝 p167、168(抜粋と編集)この本の発行は1985(昭和60)年です。
バサーは芭蕉布の着物ですが「バサー 着物」で検索するとエイサー衣装と認識されているような... 本物は現在高級品ですから手にとる機会も庶民にはほとんどないでしょうけども...
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