タイトルとは違って泊出身者なのか泊で営業していたのかの区別はつきませんが、これは引用元の「泊人の足跡」の性質に由来します。
そのへんご注意頂きたい。
昭和に入ってからの鍛冶屋は平民士族の別なく、泊や上之屋、久茂地2丁目(普嘉路)にあった。なかでも久茂地2丁目は鍛冶職が多く、再生時は17、8軒もあって、一名その通りを「カンジャー小路」とよんでいた。農機具の製作は機械によらぬ手製で、ふいごを使うのは女性(親方の妻)か見習少年で、親方と相対する「メーウチ」が呼吸を合わせて、「トンテンカン」と刃物や農具の製作に汗を流したものであった。庖丁などは竹の葉型の家庭用「チリバン庖丁」、「ワーサー庖丁」などいろいろあったが、この庖丁は一名「ヒジュルムン」(冷たき物)といわれていた。
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庖丁上一本50銭、鎌一本20銭、ヒーラ一本20銭
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島袋次郎(明治生)、石川清喜(明治44生)、崎山嗣郎(明治生)、島袋亀(明治生)、崎山嗣光(明治生)、田場次郎(明治生)
石川松助 大正6年生、戦後寄宮で経営
吉浜朝吉 大正6年生、吉浜照訓弟、沖縄市で吉浜工業所経営
泊人の足跡/松村興勝 p58、59(抜粋と編集)ワーサーはウヮーサーでしょうか。
ウヮーサー/屠殺業者。主として豚を屠殺する者をいう。牛を屠殺する者を特にさす場合は、ウシ ウヮーサー usiwaasjaa という。
http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN45011チリバンボーチャー/たばこを切る包丁。普通の包丁よりもずっと大きい。
http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN21532鍛冶屋というと刀鍛冶のような手打ちの作業を思い浮かべますが、戦前の鍛冶屋と称される仕事には鉄工所も含まれていますし動力を導入している所もあります。
この辺を区別して考えてしまうのは自分も刀鍛冶のイメージが強くあるせいですね...
グダグダ(β) 上之屋通り 、
グダグダ(β) 上之屋の鍛冶屋 (崎山カジヤ二つと石川カジヤ)
グダグダ(β) 鍛冶屋 (旧那覇市内の鍛冶屋など)
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