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戦後の灯火管制

朝鮮戦争の影響もあるんでしょうが灯火管制が度々行われたようです。
これは現在還暦くらいの戦後生まれの人も憶えてるんじゃないでしょうか。

燈火管制の強化
赤白の警報とは

最近世界情勢の推移に伴い燈火管制の成否が重要視されています。燈火管制は敵の空襲から住民を保障するとともに駐留米軍に協力する唯一の方途であります。去る[1955年]1月25日に実施された「予告なしの警報」に発令時の燈火管制状況の成績が悪く軍から注意されましたが、今後も予告なしの警報発令が継続的にあるものと予想されますので先の諸点を留意の上管制に万途を期してください。
1. 灯火管制に協力することはすべての個人(大人及び学童)の責任である。即ち各自は実際に空襲監視人たる事を自覚すべきであります。現代の飛行機は超音スピードを持っていますので第二次大戦より敏速に警報に応ずる必要があります。
2. 赤(アカ)警報は長い波状サイレン一回、4分間連続で鳴らされ、「空襲が接近」していることを示し白(シロ)警報は高低のないサイレンを2分間連続で鳴らされ「解除」であります。
3. 警報が夜間に鳴ったら各人は全ての燈火を消し空襲避難所に選定された地域に行くこと。若し本物の空襲がある場合は各人は各自の両腕で顔をおおい避難する。
4. 学校に行っている学童は窓際から離れた床にかがみ両腕で顔をおおわなければなりません。
5. 夜間の空襲の際には車両の運転手は各自の車を道端に停めて明を消し、運転手は“警報解除”まで各自の車の知覚にいなければなりません。日中の空襲の際には車を道端にとめて、他の車と50ヤード位の間隔を置かねばなりません。実験空襲がある場合運転手は車を道端に停めて車の床にかがみ両腕で顔をおわなければ[ママ]なりません。
特に市民にお願いしますのはサイレンの赤、白の警報にご注意下さい。
市民の友 1955年2月25日 第44号 (編集と抜粋)


沖縄出身の方の記憶。
「灯火管制。」 - 日本バプテスト連盟 多摩ニュータウン・バプテスト教会
http://blog.goo.ne.jp/tamanewtown-bpch/e/c319226b38b2120b52c54d386fdf2a58


51年生まれの方の記憶。
私のトリビア:沖縄では戦後も空襲警報がなっていた。
http://www.okinawa.med.or.jp/activities/kaiho/kaiho_data/2011/201101/077.html
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