国際通りには柳が植えられていた時期がありました。関連する記述を市民の友から抜粋します。
夏!!やなぎ通り
しかしながら市内の歩道に街路樹があるだけでも幾分その気をそそる。樟やヤブニッケイの街路樹も木麻黄もよいとして気の利いた「柳」が4本、人目をひく。それは国際中通り10区8組大湾洋服店の主人大湾宗安氏が枯れた街路[ママ]を見るに忍びず積極的に植え替えたもので、特別に手入れも行き届き大事に育てられている様もうかがえる。
(略)
大湾氏の話によると国際中央通り会の集りで街路樹の枯れたのを「柳」に植え替えることを決めたそうである。
市民の友 1956年6月18日 第64号 (省略と抜粋)1959年に市民の友へ池宮城秀意さんが寄せた文では那覇市に欠けたものとして街路樹・掃除・公衆便所があげられています。
この那覇の街を美しくするのはペンキでもなければネオンでもない。街路樹が唯一の条件となる。これまで街路樹を植えなかったわけではないが、街路樹をおざなりに植えていたことになろう。心から街路樹を育てようとする心がけがたりなかったためである。緑は平和のシンボルとなっているが、那覇の市民たちが緑を忘れて十年余り暮らしていたということはみんなの心に平和が失われていたということになる。それがやっと、国際中央通りの商店の人達が柳の並木の育成に熱心になっている、というのも、十余年経って、ほっと、平和な心をとり戻したというわけか。美しい街路樹を育てあげることが、那覇市政の一つの大きい目標であることを市○事者も市民もいま一度、思いついてほしいものである。
市民の友 1959年1月1日 第98号 (省略と抜粋)まちのたね通信にある1958年の大湾洋服店あたりの写真には柳があります。
那覇まちのたね通信 | 国際通り1/昭和33年(1958) 3月10日/山形屋前からむつみ橋向け
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=342971年。

【追記】市民の友(59年3月/第102号)には「銀座の柳/100本那覇市へ寄贈」とあり、那覇市の要請に銀座通り会が応えて現在発想準備中、国際通りかむつみ橋〜蔡温橋間に植える予定であると書かれています。
参考:
グダグダ(β) NAHA, OKINAWA - 1966参考:
グダグダ(β) Downtown Naha, 1967 (山形屋向かい)
参考:
グダグダ(β) 福山商事ビル近辺 (山形屋からむつみ橋手前だけに柳がある)
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