忍者ブログ

グダグダ(β)

メンテナンス中/内容について一切保障できません
3/24アクセス解析再設置/不快に感じられる方はJavaScriptオフを推奨

MENU  ブログ内検索は左のMENUからできます

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

戦後の楽団

1946年12月2日、具志川の米軍キャンプ630部隊で沖縄人演奏家による戦後初めての洋楽演奏会が催された。部隊長ローズ大佐の希望によるクリスマス祝賀会「琉米親善音楽会」で、ピアノ、クラリネット、トロンボーン、サキソホーンによる合奏が兼村寛俊、渡久地政一、田場盛徳によって演奏された。
その後1947年9月には新垣絃次郎(又吉盛郎)を団長とする「南の星」楽団が結成され、沖縄全土を巡回して好評を博する。
なは・女のあしあと(戦後編) p386


沖縄の戦後文化の一つとしてジャズがあります。主流だったのはジャズときいて大抵の人が想像するようなジャズではなく、ポップス・ダンスミュージックとしてのビッグバンドジャズです。即興のイメージと違ってビッグバンドはアレンジがされているため基本的に譜面の音楽です。
時代が過ぎてしまえばそれらはたんなる懐古ポップスでしかなく、当時の人間は現代に通用するような技術もないため復帰後はのきなみ食いっぱぐれました。

一時期スターだった連中の天狗ぶりはすごいものがあったようで、うちの親戚連中があつまったときには色々な話がでてきました。おかげで、コザのロックやキャバレーなど米軍のお陰で儲った連中にはろくな奴がいないという偏見を自分は持っています(笑)。
その当時現役だった人間というのは現在老人になっていて、現在演奏している人間で全盛期の基地内での演奏を経験した人間はもうあまりいないと思われます。

もう昔の話なのでいいかと思いますがへたくそも山ほどいます(いました)。あれで食えたというのはバブルでしかなかったという証拠のようなものでしょう。
ただし全国レベルの人間もいたのも確かです。
有名なあの人もひどかったな...

参考:"南の星"楽団" - Google 検索
PR

Comment

お名前
タイトル
E-MAIL(任意)
URL
コメント
パスワード

× CLOSE

ブログ内検索

アクセス解析

カレンダー

04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最新コメント

[08/08 なちょうらーざ]
[07/19 shimoji]
[07/19 shimoji]
[03/21 2階の店舗の娘]
[03/05 福島敏彦]

× CLOSE

Copyright © グダグダ(β) : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]