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尚順と花百合

昭和沖縄園芸発展史の「沖縄の移出園芸を推進した人々」から抜粋します。

昭和6年2月、小禄の園芸部ではじめてマスクメロンの経済的試作を行った。園芸知識の普及、理解を求める第一歩として、当時の県会議員の各位の来場を請うてマスクメロン栽培の現状ならびに試食会を開催した。その時の品種はスカーレットとアーリーフエボリットの2種で割合好評であった。それが新聞記事となり、尚順さんのお目にとまったとみえる。その次の朝、男爵は人力車で例の羽織袴で来場されてひどくお叱りを受けた。こんな園芸上の問題は真っ先に私に見せるべきではないか、議員などにそんなものを見せて何になる、一文の価値もないよといわれた。これには私は一言もなく、各種メロンを数個献上して以て自分の不明をおわびしたのである。
その後、男爵はただちに園内[桃原農園]に二棟のガラス室を建設しマスクメロンの営利的栽培に乗り出され、しかも生産品を園内見学者の試食に供し弱冠の代価をとっておられたようである。
男爵は桃原農園のほか国頭郡伊豆味に果樹園を開き、各種の柑橘類、枇杷、パイナップル、茶の栽培をはじめられた。沖縄における果樹園らしい果樹園は尚順さんによってはじめられたのである。
さらに花百合の生産輸出については特に力を入れ、当時沖縄より移輸出する花百合根の過半数は尚順さんの手によってなされていたのである。彼は偉大なる園芸研究家でありしかも園芸業の合理的経営者であった。沖縄の園芸業の発展、啓発に関する男爵尚順の功績はけだし不滅というべきであろう。
昭和沖縄園芸発展史 p377、378 (抜粋と編集)


昭和12年の月刊琉球に掲載された桃原農園食料品部の広告にはメロンがあります。
尚順とは関係ないかもしれませんが、戦前は天久、安謝、繁多川は百合根が有名であったようです(参考)。
オチもなく旧那覇・真和志との直接の関係はないんですがメモ代わりということで...
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