
安里から松川までです。真和志民俗地図で集落になっている箇所を表示してみました。松川は現在の部落の範囲とあまり変わりませんし安里も同様です。
栄町から大道小学校に至る一帯には一高女と師範付属小学校(と陸軍墓地)があります。川がカーブする内側(二又原)の現公務員宿舎は試験場です。
川が合流する側には酒造所、向かいには沖縄製缶工場、首里に登ってゆく坂の途中には瑞泉社(糸関係?)があります。
鉄道の本を見ていると線路が高架になっていてトンネルを通って横切っていたという点に改めて気がつきました。安里十字路角の安里駅も一段高くなった線路に登るような形をしていたようなので現在のひめゆり通りを人が歩けたと考えるのは間違いということになります(もちろんその傍には人用の道があります)。
現在の安里十字路の高架も考え方次第では戦前とあまり変わらないのかもしれません。「図説・沖縄の鉄道/加田 芳秀」には当時の安里駅のイラストが掲載されています。
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