現在那覇市久茂地で工事中の大同火災新本社ビルは平成4年(1992)10月に着工、平成6年6月に完成する。
新本社ビルの敷地には昭和32(1957)年頃3階建ての沖縄火災ビルが建った。沖縄火災、南西火災が合併、のちに球陽自動車保険を加えて共和火災となり、同社の本社となった。その頃の同ビルはアメックス(アメリカ系銀行)や沖縄テレビ開設準備室など数社が入っている雑居ビルだったが、共和火災が全部使用する事になり、全入居者引き移ってもらった。そうするとビル敷地の地主代表のM氏は「お前が来たら、全部追い出してしまうのか?」と冗談を言っていた。三階屋上にプレハブを増設したが手狭になっていた。現在のようなコンクリートパイルなどなく地下に松杭を打込んであったため、これ以上、上に伸ばすのことはできない。辛抱のしどころとなった。
この土地を購入するために私はM氏と交渉に入った。提示された額があまりにも高額で、わが社の資産総額の不動産枠をはみ出してしまうので見送った。
ところが大同火災になってあと、今度は地主側から買ってくれといってきた。隣地も合わせ200坪に少し足りなかったが、交渉の末全額現金で支払い、社有地とした。この土地は久米門中の共有地で、別に代替地を購入、剰余金で門中打ち揃って旅行に行ったと言って門中代表から大へん喜ばれもした。
大同火災と私の人生 p175〜178(抜粋と編集)現在の大同火災本社は「那覇市久茂地1丁目12-1」(
http://g.co/maps/fzhh5)、この場所は移転前の沖縄タイムス本社ビル向かいになります。
大同火災は復帰に備え1971年に琉球火災海上保険と共和火災海上保険が合併したもので、下の写真では共和火災海上保険となっています。
那覇まちのたね通信 | 沖縄タイムス社前
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=604
松杭は旧沖縄タイムス本社ビルでも使われていたようで、取り壊し時にニュースになりました。当時は一般的だったようです。
参考:
グダグダ(β) リュウキュウマツの杭引用文ではこの土地が久米門中のものだったことがわかります。


左図は現在の地図に「那覇市旧跡・歴史的地名地図」に示されている戦前の道をかいたもの、右図は昭和初期の地図と推定した大同火災の位置(ポインタ)です。
戦前の町名はこんな感じ。

旧い時代には久米人は久米と久茂地あたりにいたそうですから門中の土地があったとしても不思議ではありません。
参考:
グダグダ(β) 久米村人(クニンダ)の宗家PR