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久米女の喧嘩(明治33)

那覇に於ては旧3月3日より78日頃迄は3月遊ひと唱へて業を休み各所の年少婦人は数十人一団体を作り「波上」又は三重城辺へ繰出し各々鼓を打ちて舞ひ遊び又は渡地の浜に船を泛べて遊ふを例とせるは世人の知る所なるか久米に於ては仝所の年少女子供は大門西門の2団体に別かれ双方とも鼓を打ち悪口を為すの悪習慣ありとの事なるか去6日即ち旧3月7日の晩の事なりとか西門方の女大将國吉マツル(当24)か数十名の娘連を引卒して池宮城の門前を通行したるに兼て仝所には大門方の女将軍池宮城カナ(当21年)始め湖城カメ(当16年)外二三十名の女兵勇共群をなし屯集してありしか今しも西門方の女軍隊の通行するを見て一同手を打って嘲笑したるにぞ女なからも一方の大将たる國吉マツルは大に怒り直に繊手を堅めて大門方の女兵の面部を打擲したるより双方とも摑合ひの色消し騒きを始め為めに國吉マツルは身体に負傷したりとかにて此旨警察へ訴へ出てたる由なるかは是非曲直は暫く措き双方とも斯くの振舞ひは女の身として○ても/\と呆れるの外はなし
明治33年4月9日 琉球新報 沖縄県史資料編16上 p94、95


3月遊び関係でのもめ事です。
旧那覇は狭いのに字が更に2つに別れて対立してるというのは暮らしにくくなかったんでしょうか...
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