「昭和沖縄園芸発展史/宮城桃幸」(p356)の「戦前における主要移出野菜の生産の推移」という評からトマトのみ数字を抜き出します。
年次|作付面積(ha)|生産量(kg)
元年(大正15)|12.6|25125
2年|15.7|23250
3年|29.7|49500
4年|29.7|24000
5年|26.7|34125
6年|42.2|92625
7年|57.6|117750
8年|103.0|169500
9年|108.2|177375
10年|87.8|144000
11年|88.7|145500
12年|75.2|123375
13年|86.2|141375
14年|77.0|126511
15年|83.0|160381
昭和沖縄園芸発展史/宮城桃幸 p356 (一部数字のみ抜粋)この増加には農業試験場の後押しと組合の設置が影響しているようです。
同じ本の「戦前における主要移出野菜の生産と移出」からトマトのみ。
年次|生産数量(kg)|移出数量(kg)|移出率(%)
11年|251125|28440|11.3
12年|123375|39780|32.2
13年|141375|33750|24.0
15年|160381|123370|43.4
昭和沖縄園芸発展史/宮城桃幸 p357 (表から数字を抜粋)生産量も上がって輸出割合も半分近くになっています。
昭和沖縄園芸発展史(p361)の「昭和12年移出野菜種別価額」では、総額396891円の内訳は、キャベツ(61%)、トマト(17%)、冬瓜(7%)、西瓜(4%)。数量だとキャベツが77%、トマトが10%で、移出野菜の殆どをこの2つで占めていたようです。
この当時のトマトはパラフィン紙に包まれ緩衝剤(水苔)と箱に詰められて内地へ運ばれていたようです(参照:沖縄県農業試験場百年史 p602)。
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