「那覇の民俗編集ニュース」から久茂地の「落雷」「ヤマトンチュ教師」を引用します。図は「那覇民俗地図」「戦前の久茂地村民俗地図」を参考にして作成しました。
落雷
鈴木製材所の隣りのニンヂョクチには瓦葺きの屋取りがあったが早朝からの大雨はカミナリをともない、稲光は眼がくらむくらいで、最後の大きなカミナリは、屋取りで豆腐をひいていたお婆さんに命中して、屋取りと共に焼けて即死したのであった。
ヤマトンチュ教師
久茂地村は範囲が広く、現在のソニービルは村の中央にあり、向岸には浜崎製帽所があった。久茂地校の正門は裏側にあたり、100メートル先の墓地の下に新井(ミーガー)がありいかなる干ばつでも水はあり、村の庶民の豆腐づくりにはかかせない湧泉だった。(後略)ニンジョーグチ(那覇民俗地図)がどういう意味かはわかりません(船の着き口?)。
「昭和初期の那覇市街図」(国場組社史掲載)では川沿いには久茂地橋側から電気会社、大城組、日高製材所、国場組土木建築請負、製材所があります。
ミーガーの場所はわかりませんが、久茂地小の前の道を進んで行くと左側裏手は墓地地帯ですのでそのあたり?( 参考:
戦前の松尾)
結論は豆腐作ってた家があるってことくらいでしょうか(笑)。
引用での屋取りについては微妙なとこがあるので
別項で。
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