大正5年の沖縄県人事録からです。この人はお医者さんで寄留商人というのとは違うかもしれませんが、カテゴリ分類の繁雑さをさけるため寄留商人にします。
参考:
Category 寄留商人大久保孝三郎
内科専門医
那覇区久米町1ノ3
君は福島県安積郡森藤村の産、明治8(1875)年を以て生る。亡嘉久太氏の四男なるが、兄弟悉く早世せしを以て其家督を相続し、既に2男3女を挙げ居れり、明治26年東都に負うて、済生学舎に学び、苦学研鑽有ゆる困厄と闘ひ、同28年同舎を卒業せし後、翌29年直ちに本県に来りて開業し、以て今日に至れるなり。君が営む処の医院は広壮に非ず、又装飾を施せるにも非ず、敢て門戸を飾るにあらざるも、然も疾患に悩むもの日々門前に蝟集し、業務常に殷盛を極むる所為のものは何ぞ。是れ他なし其人格にあり。資性温厚徹頭徹尾人格の人にして、患者に接する事懇切を極め、然も驚くべき程寡黙にして、普通医師に見る如き追従軽薄の態度毫も無く、診療を了れば黙々として直ちに去り、未だ○て無駄口を利きし事なし、然も其間云ふに云はれざる愛嬌ありて、人の親しむべき美質を有せり。又熱心なる基督教信者なる為め従って其居常は頗る真面目にして、真に欽すべき高風の紳士たり。
沖縄県人事録(抜粋と編集)
http://archive.library.pref.okinawa.jp/?type=book&articleId=50102画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫の「沖縄県人事録/楢原翠邦編(大正5)」からで、切り出して画像処理などをしてあります。
那覇民俗地図では久米大通りの真ん中に大久保医院がありますが、引用の「
久米町1ノ3」の場所ではありません。昭和12年の人事録では「久米1ノ21」になっています。
参考:
グダグダ(β) 久米町(昭和4)【追記】建物内部(診察室?)の写真のようです。
大正時代に沖縄に在った企業 (53) - 昔の写真と資料 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/pusan_de/3224706.htmlPR