画家の山元恵一さんの父の話が面白かったので引用します。
画像は
http://www.flickr.com/photos/24443965@N08/3440267242/in/set-72157609823200760/から切り出したもので、元画像は1919(大正8)年に現在位置に移転した県庁正門前の写真です。時期的にもありえない話でもないので写っているひとは山元さんの父なのかもしれません。
戦前の那覇市内をサイドカーで走り回っている人がいたというのは愉快ではあります。
筆でちょこっと八の字ヒゲを引いたような、童顔で、しかもどこか渋い役柄をこなすフランスの俳優に似ていて、山元恵一氏は愛嬌があった。
思い出されるのは、恵一氏の父君が、那覇署長をしていた頃の話である。さすがに親子で、父君も氏にそっくりの顔立ちだった。この父君には妙なクセがあった。それはサイドに部下の警官を乗せ、サイドカーで那覇の街を走るというクセである。普通は船の方に上司がおさまり、ハンドルを握るのは部下だが、那覇署長の場合はアベコベである。真面目な顔で運転する姿は街の話題になった。
那覇市久米町に産まれ、たしか小学校は那覇尋常小学校で、私も同じ学校だった。1932(昭和7)年県立二中を出て、38年東京美術学校油絵科を卒業、41年から県立二中に勤務、戦後派首里高等学校美術教諭をへて、52年琉球大学美術工芸科の助教授となり、苦心の指導にあたるかたわら沖縄タイムス社の主催する沖展運営委員として活躍した。
1977年逝去。
沖縄人物シネマ(抜粋と編集)
※この写真は
CC BY-NC-SA 2.0で提供されており、当ブログでも
継承(SA/Share Alike)の条件に従います
1913年5月13日、那覇市西村生まれ
山元恵一|作家紹介|美術館|沖縄県立博物館・美術館
http://www.museums.pref.okinawa.jp/art/artists/painting/yamamoto_keiichi/index.html山元姓は内地姓かなとおもったら士族に山元姓で名乗りが「恵/惠」の人がいました。
「沖縄県人事録(大5)」には士族で医師の「山元惠孝」さん、士族かどうかはわかりませんが「沖縄県人事録(S12)」には「山元惠順」さんがいます。
山本と山元は同じ読みですが、「元」を使う姓は鹿児島に多いようです。また検索すると首里の阿氏に山元姓がいるようです。
このへんはさっぱりわかりませんよ...
PR