
画像は下記ページより無断拝借しております(すみません)。
金城町あたりから繁多川方面を望んでいるのだと思うのですがなにもないようにみえます。
http://www.a-nero.com/syuri.htmlまたページ内には部落内の石畳道の道路拡張の様子がわかる比較もあります。
石畳道は王府時代よりそのままだと思っている方も多いと思いますが、実は水道管他の敷設などで戦後に拡張されています。このあたりは那覇市広報誌の「市民の友」などを参照するとわかります。
識名部落内の道路拡張では識名部落の道路拡張工事を取り上げましたが、昭和中期に古い集落のほとんどは道路が拡張されています。
戦前から旧那覇市では水道の敷設がすすめられていたのですがわずかなものでした。戦後に水道を付設してゆくのですがほぼゼロからの工事なので昭和中期に至っても簡易水道などで済ませている地域も多かったのです。また水道がきていても圧力不足で水が出ないなどの事情もあり、その対応のため上間水タンクなどは作られています。
那覇市の水源も宜野湾などからのものでしたが、水源の水質悪化などのため山原からの水源に切り替えられて現在に至っています。那覇市内で水の質量ともに満足できるようになったのはそれほど昔の話ではありません。
【追記】金城町の道路についてはこれなども参考になるんではないでしょうか。
那覇市首里金城地区における細街路整備の経緯と意義(農村の景観と自然環境, 農村計画)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006330051PR