さしみで庶民階級にはしょうゆは普及していないと書きました。
しょうゆ
しょうゆは富裕階級は自分で作っていたが、庶民がしょうゆを使うようになったのは明治以降であった。
農村地域や辻町では、みそがふるくなると上に汁が出るので、それをくんでしょうゆの変わりに使った。また、辻町では、大豆をひき、麦をいって麹を作り、水、塩を加えてしょうゆをつくっていた。
酢
明治時代の自家製の酢の作り方は次のようであった、甘蔗の汁または黒糖の煮汁をかめの中に入れて放置して作った。酢のことをアマジャキまたは、シーといった。
那覇市史 資料編第2巻中の7 p195昭和初期想定の民俗地図をみるとしょうゆ屋もあります。
富裕層と辻で作っていたということは高級料理には使っていたということでしょうか。
辻町では、客相手に高級料理が作られていたせいか、鰹節、ソーキ骨、とりガラ、グーヤーブニなど、ぜいたくに使ってだしをとるにも気を配ったという。また、庶民の間では、かまばこに塩で味付けし、固めに作り陰干しして、鰹節のように削って作った。
那覇市史 資料編第2巻中の7 p196参考:
ダシカマボコ那覇市史には調味料として、塩、みそ、しょうゆ、酢、さとう、しょうが、胡椒、唐辛子、ひはつもどき(ヒファチ)、鰹節、干小魚があげられています。
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