ことばについてわかりやすいページがあったのでご紹介。
沖縄の言語と意識に対する社会言語学的考察
http://tokyo.cool.ne.jp/b3959/jyosyo.html母音の変化、古語の残存などわかりやすいですね。
屋取部落と地人中心の部落が距離を近くしてもことばに大きな差があったという話は興味深いです。
現在の那覇市の範囲でも小禄ムニーなどはからかい半分で田舎者のレッテルがついてるようなもんですし、那覇の人間にとっては首里の大げさなことばも笑いになるようなとこがあります。
村落社会が成立していた時代は一つの村や字の中だけで一生を暮らすのが普通だったし、交通機関が未発達だったということも原因となり、他地域との交流がほとんどなかったので地域によっての言語差が大きくなった。特に今帰仁(ナキジン)地方や糸満地方、山原地方などの地域は音韻的にも大きく違っていた。
2回目の調査において、話を聞かせてもらった比嘉清光さんと敏子さん夫妻は二人の言語状況がそのことを表している。清光さんも敏子さんも二人とも出身地の琉球語で話すことはできる。しかし、日常生活の中で、二人で会話する機会の時も琉球語は使わずに共通語で話す。二人とも出身は中部地方で距離的には近いが、清光さんは今帰仁地方の出身で敏子さんは本部町の出身だった。今帰仁は「はひふへほ」を「ぱぴぷぺぽ」と発音する沖縄でも特殊な発音の特徴をもつ地域である。一方、本部町は廃藩置県後に首里から没落した士族が流れて住み着いた地域であるので大部分の言葉が首里方言に変化していったので、中部にありながら南部の首里の言葉の特徴を持つ。結果として近距離に位置してるけれど言葉の違いは意思伝達に障害が起こし、精神的にも抵抗が生じるほどになる。そのために琉球語で会話したとしても大意は通じるが、言葉によって聞き直さなければならなかったり、分かりづらい所もでてくるのでストレスが生じることになる。
それほどに沖縄における地域による言語差は大きい。
※一部語を修正しました屋取の発生は廃藩置県の時と王府が士族の田舎居住を許可した時に二つの大きな波があります。そして明治後半の土地整理の際にさまざまな問題を巻き起こします。
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