いつの頃からか、久茂地のコーシヌミーマーチューにも念仏者が住みついていた。3戸の長屋に住みついていたので、近代にはその居住地はミーチクヮンタク(3つの官宅)と綽名をつけられていた。そこの住人は依頼されれば雑役にも従事し、通常はボーシチャナーと呼ばれていた。ユカッチュ(良か人、士族)のダビには2人、百姓のダビには1人出て、ニンブチャー(念仏者)をつとめ、チョームン(経文)を唱えた。葬列の旗持ち、天蓋持ちもボーシチャナーがつとめた。
那覇市史資料編第2巻 中の7 P431(抜粋と編集)
コーシヌミーマーチューというのはどこだかわかりません(格子戸、格子の枠の間のすきま、のことをコーシヌミーと呼ぶようです)。
ボーシチャナーは何でもやる日雇いのようなもんでしょうか。