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忠尽堂(忠藎堂)の由来

王家・王族だけが菩提寺を有していたのではなかった。尚真王の治世に浦添親方(*1)によって建立された広徳寺はその菩提寺であったし(*2)、久米村の清秦寺は蔡姓の廟寺であった。「蔡家家憲」(*3)によれば、蔡家の家廟はもともと忠藎堂と呼ばれていたが、喜友名親方(紫金大夫蔡堅)の代に円覚寺の末寺とされたもので、1732年に蔡姓一門の願い出によって再び家廟(忠藎堂)に改められたという。泉崎にあった潮音寺は同じく36姓の金姓の家廟であった。金姓の女性が建立したのであるが、「那覇由来記」(*4)によると、後に潮音寺を移して聖現寺が建てられたため、金姓の神主も聖現寺に安置されたという。
*1 月船忠公と号す
*2 『球陽』巻6・尚質王13年の条
*3 四本堂家礼ともいう
*4 『琉球国由来記」巻8
那覇市史資料編第2巻 中の7 P426(抜粋と編集)

※忠藎堂の「藎」の字は「荩」とも書くようです。忠尽堂と書いてある本があったのでこのブログでは「忠尽堂」を使っています。

円覚寺は臨済宗なので一時(?)は禅寺ということになりますね。
単に「堂」とも呼んだようです。

ドー /doo/(名詞)
寺の名。蔡氏の祖先をまつる寺。清泰寺。ロー roo(堂)、サイウジドー saiuzidoo(蔡氏堂) ともいい、久米村にあった。

http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN51210


参考:グダグダ(β) 堂屋敷と堂小屋敷
参考:グダグダ(β) 久米町(昭和4) 2丁目106か?
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