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那覇航空写真


米軍撮影の航空写真から那覇のみ切り出して画像処理しました。
この地図の上と下が切れているくらいの範囲でしょうか。下端中央よりやや右に刑務所が見えます。

目立つ箇所と現在と位置が変わっていないところをマーキング。赤い線が長虹堤です。

同じ箇所を地図上にマーキング。
この地図と写真では明治橋の架橋位置が異なります。通堂からの南北明治橋と現在に近い位置の明治橋は後者の方が時代が近いので写真の方が現代に近いです。
地図にはないのですがガーブーの大体の位置も書き込んでみました。
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那覇の管区


位置・面積 | 那覇市の概要 | 那覇市
http://www.city.naha.okinawa.jp/youkoso/outline/geo.html

那覇の管区の図です(上記サイトより一部変更して掲載)。

那覇の現在の管区と旧真和志村には若干のずれがあります。
那覇市の変遷を那覇市のページより編集引用して概略を示しておきます。
http://www.city.naha.okinawa.jp/youkoso/outline/ayumi.html#A2
1879年(明治12年)の廃藩置県で那覇に県庁が置かれたことにより首里に代わって中心地となる。
同年(明治12年)泊、久米、久茂地を編入したことにより近代那覇の行政区域の基盤が成立。
1896年(明治29年)特別区制の施行により那覇区となる。
1903年(明治36年)土地整理事業の完了にともなって真和志より牧志、小禄より垣花を編入。
1914年(大正3年)に壺屋を真和志村から編入、埋立てた旭町を加える。
1921年(大正10年)特別区制が廃され一般市制が施行、那覇市となる。
---
1950年(昭和25年)8月1日みなと村を編入。
1954年(昭和29年)9月1日、首里市、小禄村を合併。
1957年(昭和32年)12月17日、真和志市との合併。


この地図は新県道(国際通り)以前の那覇地図ですが牧志・壷屋・垣花・旭町が図に入っておりだいたいの図の作成時期がわかります。

そして泊高橋以北も旧真和志村です。
那覇市の首里地区(旧:首里市)以西で、北西部は字安謝・天久・銘苅・現在のおもろまち・安里を西限とし、南西部の境界は国道330号線とほぼ一致する。南端は国場川が流れ、北端は浦添市(旧:浦添村)に接する。
真和志 - Wikipedia

古い意味で那覇と厳密にいう場合旧浮島だけです。このへん那覇という場合にどの時期を考えているのかというのを頭にいれておかないとわからなくなる事がよくあります(自分も)。

瓦屋

沖縄地名考より順番を少し変えて引用。

与那覇堂は、真和志村字松川の小字である。いにしえの与那覇堂村の名残りで今なお瓦を算出し、瓦屋と称している。
真和志村字国場の小字に瓦屋原がある。「旧記」の伝える処によれば、瓦の製造を始めたのは支那人で、国場村にいて一女を娶り、真玉橋の東に陶舎を建て、瓦器を製造したという事である。
---
瓦屋は城岳の東なる湧田楚辺原にあり、カラヤーと称している。焼瓦職の多きをもって名付けられ、現今那覇□□町に属する小字である。

(沖縄地名考/宮城真治 p116,117)

昭和一桁の頃に書かれた本です。
湧田は現在の県庁付近。

入り江

那覇の古海岸線
「那覇の古海岸線と地名」の図です。
下記サイトのpdfからスクリーンショットで制作。

長虹堤の跡を追って
http://www.okikosai.or.jp/kenkyusho/magazine/sima_23/sima23-04.pdf

鉄道地図


沖縄県鉄道地図 450x779、56KB

図の掲載元は下記サイト。

やんばる国道物語 - 近代沖縄の道(1879年〜1945年):やんばるロードネット_北部国道事務所
http://www.dc.ogb.go.jp/hokkoku/yan_koku/03kindai/62.html

鉄道については「図説・沖縄の鉄道/加田 芳英」をお勧めしておきます。

参考:沖縄県の鉄道 - Wikipedia

那覇地図


那覇地図 798×645,328KB

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Naha_map_circa_1930.PNG

1930年の旧那覇の地図です。

寄宮国映通り

前から謎だった寄宮国映通りですが名前の元になった寄宮国映の建物が残っていることを知りました。
この通りは元日本軍与儀射撃場(参照:真和志民俗地図)です。
参考:グダグダ(β) イバヤ橋
国映

ストリートビューで見る国映跡の建物外観はこんな感じ。

元寄宮国映:google ストリートビュー

googleで地図検索するとこの通りに案内されますが寄宮国映通りというのは現在あまり使われる名称ではないようです。年配の方ならわかる名称なんでしょうか。
地図では塾になっていて、ストリートビューで建物の外観を見ると確かに映画館の作りをしているけどもいつ頃まで映画館として存在していたのかはわかりません。
最近盛んに検証されている沖縄映画史の本を探せばでてくるとは思いますが...

天久の地縁 2

天久の地縁の続き。

>この時平野区は寄宮に移住した。
>これらは泊と本部方面からの屋取りと寄留民であるから移住後は交際は無い。


これを巡って那覇市のサイトから。

自治会情報一覧 -真和志地区- | 自治会情報 | 那覇市
http://www.city.naha.okinawa.jp/jitikai/annai_mawasi.htm#M56

・銘苅区自治会 寄宮1丁目の一部(8〜10、13〜15)
・平野区自治会 寄宮1丁目の一部(4〜7、17〜22番地)

寄宮に他の地域の自治会が存在するってのも妙ですがこういう事情ということで。

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