戦後の自動車教習所についてです。
通称 自練、自動車学校
戦後は53年頃那覇市安謝に沖縄自動車教習所、ついで首里に首里自動車学校が設立された。68年公安委員会による指定制度が確立するまではすべて非指定の教習所であった。
沖縄大百科事典 (省略と抜粋)沖縄自動車教習所は安謝岡野区5班、首里自動車学校は坂下にあったようです。
また運転免許に関する施設、自動車台数と免許保有者数は次の通り。
運転免許に関する事務は、1949年12月20日に沖縄民政府工務交通部から警察部(保安課)に移管され、1951年1月1日に交通課が新設され同事務を担当することとなった。また、1956年1月1日から道路交通取締法が施行され、翌年の1957年6月20日には、交通課の附置機関として自動車運転免許試験場が発足した。また、同年10月4日には、那覇市西新町3丁目79番地(現在那覇市西3丁目10番地の17)に、鉄筋コンクリート平屋の事務室と基本コースが竣工した。
沖縄県警察史第3巻 p264、265(省略と抜粋)自動車台数
50〜59年
1128、2297、2780、3774、4448、5688、7820、8841、10986、12067
60〜69年
14412、17559、22558、28843、32521、41427、54296、70290、84428、96368
70〜71年
13389、137949
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免許保有者数
51〜59年
2744、9817、12365、13870、16083、16365、20245、22377、26194
60〜69年
33566、42559、49925、64500、78082、92143、112459、128284、145431、162443
70〜71年
181303、200989
沖縄県警察史第3巻 p455/表より数字のみ抜粋(省略と抜粋)そのほか昭和41年度以降の教習所数の推移など。
年度 |指定教習所数(新規指定)/非指定教習所数 [教習所総数]
昭和40、41年 |指定0/非指定26 [総数26]
昭和42年 |指定0/非指定24 [総数24]
昭和43年 |指定2(普天間、奥武山)/非指定22 [総数24]
昭和44年 |指定8(壺川、宜野湾、安ヶ名、カデナ、糸満、天久)/非指定16 [総数24]
昭和45年 |指定8/非指定16 [総数24]
昭和46年 |指定9(川畑)/非指定15 [総数24]
昭和47年 |指定11(コザ、浦添)/非指定13 [総数24]
昭和48年 |指定12(美池)/非指定12 [総数24]
昭和49年 |指定12/非指定12 [総数24]
昭和50年 |指定13(津嘉山)/非指定11 [総数24]
昭和51年 |指定13/非指定11 [総数24]
昭和52年 |指定16(那覇、馬天、名護)/非指定8 [総数24]
昭和53年 |指定17(第二天久)/非指定7 [総数24]
昭和54年 |指定17/非指定7 [総数24]
昭和55年 |指定18(八重山)/非指定6 [総数24]
昭和56年 |指定20(三和、宮古)/非指定4 [総数24]
昭和57、58、59年 |指定20/非指定4 [総数24]
昭和60年 |指定19(奥武山廃校)/非指定4 [総数23]
[沖縄県自動車教習所協会]創立20周年記念誌 p21「会員(指定教習所)年度別推移」より省略して抜粋指定教習所は昭和43(1968)年からなのでそれ以前は練習して一発試験という感じだったんでしょうか。
昭和47年頃までの新規指定は全部自動車練習所だったのですがその後自動車学校への改名があります(そのままのところや新しく指定されても講習所というところもあります)。自動車学校という名称で新規指定されたのは48年の美池自動車学校が最初、改名は47年の壺川自動車学校が最初です。
昭和48年以降指定されたのは9校でそのうち自動車学校が6校、練習所が3校ですがこのうち2校は自動車学校に改名しています。
沖縄では教習所のことを自練と呼ぶことがあるのですが、これはおそらく非指定教習所全盛時代の自動車練習所の通称が根強く記憶にあるのかもしれません(本当にそう呼んでいたかどうかははっきりしません)。
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