戦後の運転免許について沖縄県警察史より抜粋します。
運転免許事務については、1946年4月の沖縄民政府設立後から、工務部陸運課において試験を実施し、有効期限5ヶ年の免許証を交付していた。一報米軍車両を運転する沖縄人に対しては、ライカム交通規約に基づき米軍が運転免許証を発行していた。そのため、当時は民間免許証と米軍免許証の二本立てとなっていた。ところが陸運課の免許試験は、身体検査、学科試験、実技試験の三段階にわたり厳格に審査していたのに比べ、米軍の免許はかなり簡略化された試験であった。しばらくすると、米軍免許で民間車両を運転する者がかなり増え、それに伴って米軍免許所持者の事故率が高くなり問題となった。そのため、1953年以降は民間人が米軍車両、民間車両のいずれを運転しようとも、警察局(1951年に陸運課から事務移管)交付の免許証を受けなければならなくなった。またそれに合わせて米軍人以外の一般外国人(シビリアン)についても、警察局で運転免事務の取り扱いをするようになった。
1956年に道路交通取締法が施行されたのに伴い、免許事務も充実強化を図る必要から、那覇市西新町埋立地に運転免許試験場が設置された。
原動機付自転車は、当初、許可制であったため。各地区警察署で審査及び許可事務を取り扱っていたが、原付車の急激な増加と、その性能が自動二輪車と遜色がないほどに発達したため、原付車の事故が各地で頻発した。そのため、1961年6月27日に法改正がなされ、30日経過後に免許制が施行された。
沖縄県警察史第3巻 p459、460(省略と抜粋)以前取り上げた手記に(
Link)は「
私はジープで基地内を30分ほどぐるぐる回って運転したら、「OK!」とすぐその場で運転免許証を手に入れ」とあるんですが、これがおそらく米軍の発行した米軍免許証の試験の様子です。そのあと那覇市に教習所ができ「
本物の免許証を手にした時飛び上がるほど嬉しかった」と続きますがこれが上記引用での民間免許証だと思われます。
沖縄大百科事典の自動車教習所の項には1953年に那覇市安謝と首里坂下に教習所ができたとあるのですが、「
1953年以降は民間人が米軍車両、民間車両のいずれを運転しようとも、警察局交付の免許証を受けなければならなくなった」ということから安謝と坂下の教習所はこれに対応したものだったと思われます。
また沖縄県警察史のp452には、1950年ごろから貿易開始に伴い車両が増え、やがてバスやトラック事業が営まれるようになっていったとあります。
自動車教習所関連では沖縄県警察史の表から免許保有者数と車両台数を抜き出してあり、免許保有者数が激増したのは52年の2744人から53年の9817人で7000人余りの増加、そのあとも毎年2000〜4000人づつ増え、59年には26194人になっています。ちなみに車両台数は50年の1128台から12067台と変化しています。
50年代の免許保有者数は、55年(16083)と56年(16365)だけ282人の増加となってますが、56年の道路交通取締法施行と那覇市西新町埋立地に運転免許試験場が設置されたことが影響しているんでしょうか。試験が厳しくなった?
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