安里駅の続きです。
左の図での学校内の配置は「ひめゆり学園(女師・一高女)の歩み」という図録の16ページから、周囲は真和志民俗地図と「那覇市旧跡・歴史的地名地図」を参考にしています。
右の図は「那覇市旧跡・歴史的地名地図」からですがこの図は現在の地図の上に書かれていて範囲など信頼できるものと考えています。


左図での赤い箇所が正門、その前にあるのが相思樹並木です。
しかしこれらの図と
安里駅で取り上げた写真を見くらべても安里駅がどういう配置でどういう構造だったのかさっぱりピンときません...
現在のモノレール駅あたりの道路の奇妙さがこのころに起因しているのはなんとなくわかるのではないでしょうか。
安里駅については結論なしということにさせてください...
以下余談として。
安里・大道間の地形でとりあげた米軍の作戦図。

栄町のあたりが丘になってるのがわかるでしょうか。
那覇まちのたね通信 | 真和志(学校)/沖縄県立第一高等女学校・沖縄県女子師範学校 万歳三唱
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1293最初の図で緑色の四角はテニスコート、そしてそばに見える碑のようなものが陸軍墓地のなにかではなかったかと思います。
那覇まちのたね通信 | 真和志(学校)/沖縄県立第一高等女学校・沖縄県女子師範学校 田毎の月(ダンスの演目)
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1292最初の図を参考にすると運動場(茶色)の背後は南側になると思うのですが何にもありません。
【追記】45年の空撮を追加します。


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