Atkinson Jones Construction Companyで戦後の建設バブル期のことにわずかに触れましたが、この時期には本土建設業者も基地建設に来ています。
本土業者についてまとまった記述があったので引用します。
比嘉広氏(南洋土建社長)によると、基地工事に参加した日本大手建設業者は20数社、米側5、6社、沖縄側は国場組のほかは下請けが多かったという。本土業者が担当したおもな工事は、つぎの通り。
牧港の倉庫地帯/多くは清水組、ほかに松村組
嘉手納の弾薬倉庫/大林組
那覇空軍基地周辺の兵舎/鹿島建設、大林組、大成建設、竹中工務店
ズケラン方面/佐藤工業、鉄道建設、隅田組
普天間方面/納富建設
嘉手納方面/浅沼組
嘉手納、金武、上之屋のもっぱら兵舎/銭高組
嘉手納飛行場拡張/西松組
一号線 恩納から辺土名まで舗装/納富建設(沖縄の比宮組も名護までの拡張工事に参加)
一号線 嘉手納から那覇まで/拡張は米軍ポストエンジニア、間組と米一社が舗装(なお嘉手納航空隊入口〜嘉手納ロータリー間は米社)
牧港発電所/施設は清水組、発電機は東芝電気
沖縄の証言 激動の25年誌(上)/沖縄タイムス社 p288(抜粋と編集)沖縄の業者はコンクリ施工や大規模工事の経験も少なかったはずですのでしょうがないではあります。
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