沖縄県人事録(昭和12)からの白石武八郎さんです。
白石武八郎
高炉セメント販売店長石商会
那覇市西本町4ノ37
君は明治27年を以て鹿児島市易居町に生る。幼少年時代を国頭郡大宜味村に育ち、明治43年那覇市立商業学校を卒業せり、徴兵適齢に際し一年志願兵として入営し、大正7年3月陸軍歩兵少尉に任官、同13年3月歩兵中尉に任官し、従七位に叙せられる。目下高炉セメント沖縄販売店長石商会の代表社員として同業界に活躍の傍ら、帝国在郷軍人那覇市聯合分会長及第六師団管下審議員等の公職を有し令名嘖々たるものあり、各方面の信望厚し、天資謹直にして闊達、思想穏健、挺身報国の念に燃え、挙措極めて真摯、非常時局に直面して将来の体制を期待される人物たり。趣味は読書。
【家族】長男 武弘君(大8)、次男 武文君(大13)、長女 英子さん(大10)、次女 佳子さん(昭3)、三女 邦子さん(昭10)の二男三女がある。石油・ガス関係やカヌチャリゾートを経営している白石さんの曽祖父?ですね。武八郎さんは幼少年時代が大宜味、那覇で商業学校を卒業ということです。家業は何をしていたのか、ずっと沖縄で暮らしていたのかなどわからないことがあります。
名護の徳田球一も鹿児島の2世ですが北部にも寄留商人はそこそこ定着していたんでしょうか?
白石 武博氏(しらいし・たけひろ)
1962年(昭和37)年、沖縄県生まれ。
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曽祖父が鹿児島出身で、私は「沖縄3代目」。
http://www.shiodomejuku.com/profile/shiraishi.html「株式会社 白石」の会社沿革では下の様に紹介されていますが、武八郎さんも戦後は復興資材を扱うことから始めたのでしょうか。武治さんとの関係もよくわかりませんがあとで調べてみたいと思います。
1952(昭和27)年6月 故白石武八郎、建設資材販売会社 白石商会設立。
1958年(昭和33)6月 白石商会の社長へ白石武治就任。
http://www.shiraishi-oki.jp/company/index4.html沖縄戦では中尉として軍務についたようです。
泊高台の上之屋でも内田高射砲隊の陣地構築作業があり、真玉橋の鉄道沿線に沿った小高い丘の防空壕掘りにも従事し、球部隊のあった製菓工場に割り当てられた生徒もいました。隊長は白石武八郎中尉でした。
「白梅 沖縄県立第二高等女学校看護隊の記録」(白梅同窓会)から
http://hb4.seikyou.ne.jp/home/okinawasennokioku/okinawasennosyougen/syougen17.html【追記】「私の戦後史 第5集」にある嘉手納並裕さんのところに白石武八郎のことが出てきたので引用します。
「マルメマーケット」は今のデパートのようなもので、2階に「沖縄物産館」ができたのが昭和9年。経営者は白石武八郎氏だった。
私の戦後史 第5集(抜粋と編集)PR