呉賢貴
1886(明治19)年〜1940(昭和15)年
日本に帰化した福建茶商で、白鶴拳の達人。白鶴拳は福建沙蓮寺碧砕蓮庵の方慧石が一人娘の方七娘に伝えた南派小林拳の名門。呉は福州市出身で、1912(大正1)年に来琉し、那覇の東町大門前の<占春会>(福建人で書家・詩人・茶商の高相杰[こうしょうけつ]経営)の手伝いをするが、後に独立し、<永光茶行>を経営する。
上地流開祖上地完文や剛柔流開祖宮城長順らと親交があり、大正から昭和10年前後の空手関係者に大きな影響を与える。茶業に精を出しながら夜は安仁屋正昌(現<安仁屋洋行>経営)を筆頭弟子として門弟たちに白鶴拳法を教える。拳友に東町で<公和茶店>を営む五祖拳の達人唐大其がいたが、二人とも当時の拳人たちから注目された。呉のもっとも得意とするのは鶴の手。
沖縄大百科事典から引用ここでは商人としての呉賢貴に注目したいと思います。
とはいえ大門前にあった高相杰の「占春会」から独立して「永光茶行」を設立したということしかわからないのですが...
那覇まちのたね通信 | 那覇(商店)/公和茶店/戦前/(1917年頃)
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