料理沖縄物語に東町市場でぶくぶくを売るようすがあったので引用します。
このおかみさんたちが、お茶を欲しくなるころ、物売りの娘が現れる。手にさげているおかもちに入っているのは、ご飯茶碗くらいの器に高々と盛りあげた白い泡であった。あれはなんだろう、と那覇人でないわたしが見たこともない売り物に興味を感じ、市場を通り抜けようとしていた足を、しばらく止めて、様子を眺めていると、おかみさんの一人が、一碗を買い求め、おもむろに泡をなめだしたのである。
つづいて、あっちでもこっちでも、おかみさんたちが娘を呼び寄せ、たちまちおかもちはカラになった。
泡が売り物になるとは面白いと思い、知合いの那覇人に訪ねると、「ぶくぶく」というものだ、と教えられた。
料理沖縄物語/古波蔵保好 p225、226この本は1983年発行で、この項目の最後は
「今は、昔の名手から習った婦人の2、3人がいるだけで、このお手前の風習は泡と消えた」と締められていますが復活しています。
このぶくぶくは硬水を必要とし、西町でも一部の井戸が適しているだけだったのでその井戸にはぶくぶく用の水を求める人が訪れました。その適した井戸の一つが伊波普猷の実家であったそうです。
参考:
グダグダ 伊波普猷生家跡・クバチカサちなみに新嘉喜家は伊波家の隣近所(西本町4丁目)だったそうです。
参考:
グダグダ 新嘉喜倫篤・新嘉喜貴美PR