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新栄通りのなりたち

旧市街は未開放のため、46年秋冬の本土引き上げ那覇人の一部は、開南バス停から下り坂の道路両側にテントをあてがわれ、約80人が入居。井戸がなく、松尾や汪樋川へ汲みに行った。
仲井真元楷は47年3月、松尾の高台に那覇最初の劇場を建てた。48年、新栄通り会長となる。当初はゲタ・線香・野菜をほそぼそと売っていた。50年12月の新聞には「新栄通り 仲井真書店」とある。
公設市場に入店できなかったはみだし組は市場路上の売り場を追われ、市場通り南や、えびす通り、丸国マーケット前、今のみつや書店前の空地で、地べたに野菜を広げ、カゴに鶏やウサギを入れ、板箱の上に手作りの簡単服を並べて売っていた戦争未亡人たち。
やがて一角に露天の衣料売りが集中するようになった。夜、ミシンを踏み、翌日には店に出すという生活。52年9月、地主はトタンぶき棟割長屋を建て、この人たちと賃貸契約を交わした。女性たちが新天地を求めてできた市場、自分たちで「新天地市場」と名付け、店の間取りも畳一畳弱と決めた。みつや書店(前は花城書店)向かいが新天地市場で、新栄通りから裏を含めて300坪に約200人が小店を持ち、衣料品を販売。
戦後の沖縄世相史/比嘉朝進 p32(省略抜粋)


仲井眞元楷(1908-1984)さんは知事の仲井眞弘多さんの父です。
ラジオ沖縄の方言ニュースのキャスター、演劇関係の仕事、空手と多彩な人であったようです。劇場は中央劇場といい現在の松尾公園で露天で営業していました。

戦後ブームだった兎の話も出てきています。みなと村では48年に250、49年に728の飼育数が記録されています(もちろんペットではありません)。
参考:みなと村資料からの数字など
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