小松琢次郎
1873(明治6)年、福岡生。1910年代から1935年代にかけての沖縄で活躍した寄留商人。
1910(明治43)年沖縄に寄留し合資会社南洋商会を創設。台湾米の沖縄への輸入販売をはじめ成功する。大正5年には肥料用に豆粕を中国東北地方より輸入する。翌年には三井物産と提携して外国米を産地から直輸入する事にも成功し、以降、大連直行の大豆粕および外国米などをも取り扱うようになった。また、他方では、三井物産の名古屋支店に働きかけて沖縄の黒糖に注目させ、その那覇市場進出を促進して、小松らの南洋商会自身は黒糖仲買業を兼ねるにいたった。
近代沖縄の寄留商人 (p132から抜粋して編集)上記引用は沖縄県人事録(昭和12)とほぼ同じなんですが出身地は「福岡県筑紫郡太宰府町」となっています。
この人の持っていた沖縄関係の物品が遺族によって那覇市に寄付、また浦添市美術館には漆器の小松コレクションというのもあるようです。戦争で焼けちゃってますからありがたいですねー
引用後段の大資本による黒糖取り扱いですが
寄留商人に関する一考察 : その特質と存立基盤という論文の4章で説明されています。論文では寄留商人の変化(凋落)の要因の1つに取引形態があると述べられていて、<鈴木商店、増田屋(糖商)、安部商店>などの新興商社の参入が挙げられています。三井の参入は昭和なのでこの後になるのですが、糖業関係の変化を促進した新興商社の参入の後、最後のとどめを刺した三井等の参入に小松さんは関わっています。
また論文では沖縄県史3巻各論編2の近代沖縄経済士年表を引用し「昭和4年3月・県の糖業界、三井物産の進出で活気を呈する」「11月・三井物産三池支店、沖縄黒糖を直輸入する(鹿児島商人大打撃をうける)」「昭和10年3月・三井、三菱、大量に沖縄糖の買付けをはじめる」とあり、三井参入により砂糖委託業者に大打撃があったことが示されています。
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